私の人生は全て波色に

私のエッセイブログです。少しでも多くの人に元気を与えられますように…!

私の高校選び

はてなハイカーの皆さんは、ご存知の方もいるのかもしれませんが、

私の妹が、女子高の専願入試に合格しました。


しかも、母の母校なんです…!


4月から、商業を学ぶみたいです。


そっか、私と同じ特殊な学科に進学するのか!(笑)

(姉妹とも、普通の勉強はしたくないタイプです(苦笑))


正直、大賛成です(笑)

将来、大きな武器になることを保証します。

もちろん、普通の勉強をする、普通科や進学コースも大きな自信になりますよ…!むしろ、そちらの方はとても尊敬します…。


ちょうど、前に声優になりたいと思ったきっかけについて書いていたので、

今回は、私が声優専攻がある高校を(通信制の高校)を選んだきっかけについてお話ししたいと思います。



私は中学時代、放送部に所属していました。

放送をしていくうちに声を使うことの楽しさを覚え、本格的に声優を目指したいと思うようになりました。


最初は、公立高校に進学して、放送部に入って、福岡の声優専門学校に行こうかなと考えていましたが、学校の廊下を歩いていたら(卒業した)高校の広告があり、

そこに、『声優専攻』と書かれていて、私は「はっ」とし、母とすぐにオープンキャンパスに行きました。


この時、私は人生初めてのオープンキャンパスだったため、かなり緊張していました。


学校に入った時、私は何とも言えない感覚がありました。

何と、「私、ここの高校に行きたい!」と肌で感じたのです。

まるで、電気ショックが起こったような…そんな感じでした。

分かりにくい説明で大変申し訳ありませんが、

ざっくり言うと、私はこの高校が合っていると直感で思ったのです。


オープンキャンパスは思ったよりも楽しく、先輩と先生方もとても優しくて、この日は私の人生の一大の思い出になりました。


それから、私はその高校のオープンキャンパスとトライアルレッスン(現・チャレンジレッスン)に通うようになりました。

毎回通うたび、「声優の勉強、頑張ってやる。絶対在校デビューしてやる!!」と強く思いました。


他の高校のオープンキャンパスに行ったりもしましたが、

やはり、最初に行った高校のような感覚はありませんでした。


どうしても、この高校じゃないとダメだ…と。


私は両親に、「ここの高校に入学したい」と言いました。

両親は応援してくれましたが、担任の先生には反対されました。

「普通に進学・就職はできないぞ。」

と、言われました。

(母によると、他の生徒の保護者にも反対されたりして、とても大変だったみたいです。)


当時の学校では、不登校でもないのに通信制の高校に行くなんて、もったいない(しかも、声優専攻!?)という考えだったため、

私は前代未聞だったみたいです。(でも、先輩に一人いました。同じ高校で大変お世話になりました。)


それでも、必死に私達は粘り続け、説得し続けました。



そして私は、通信制の高校に特別専願入試で無事に入学しました。


正直、その高校に入学して、本当に良かったです。


あの時、もし両親が協力してくれなかったら

私は普通の高校に行って、普通の日常を過ごして、自分自身も変わらないまま、専門学校に行って、そこでやっと、努力と苦労の本当よ意味を知ることになっただろう。


本当に両親に感謝している。そして、中学校にも。


結局、声優にはなれず、私は実績も残せませんでしたが、

声優専攻に入学して、まさか自分が、声優の先生と母校の高校の先生を目指すことになり、大学に進学するとは思ってもいませんでした(笑)(このきっかけは、また改めて書きます。)

私が大学の進学が決まった時は、中学時代の担任の先生から電話がかかってきて、

凄く喜んでくれました。今は、認めてくれています(笑)


妹の卒業式の日、改めてお礼を言いに行きます。



これから、高校選びをしていく中学生の皆さん、

高校を決める時、


ここに行きたい、この高校じゃないとダメだという気持ちを大事にして下さい。


そして、学校に行った時、ここじゃなさそうだと少しでも思ったら、辞めたほうがいいです。



学校でどれくらい、肌を感じることができたのか、私のような感覚も大事にして下さいね。


私にとって書くということは…。

文章を書くことは好きだけど、

やっぱり、文章を書くことは苦手だ。


特に、過去の自分のことを書いて表現することは。


相手に伝わるように書かなければ、このブログの意味がありませんからね。

ただの自己満足な自分史になってしまいますから。


次はああいうことを書こう、

でも、何を書けばいいのだろうか…。


と、そうこう考えているうちに1年以上経ってしまいました(笑)


もし、このブログを楽しみにしてくれた方がいましたら、

かなり、更新が遅れてしまい

本当に申し訳ありません。


気まぐれな更新になりますが、

これからも私なりに書いていきたいと思っています…!

(卒論や論文の練習になりそうですからね(笑))



明後日は、後輩の卒業公演があります。

私は高校を卒業して、もうすぐ1年が経とうとしています。

やはり、時の流れは早いですね。


今更なのですが、

今になって高校時代のことが凄く懐かしくなって、少しだけ寂しくなります。


もう一度だけ、みんなと過ごしたい

また一緒に舞台したい…。


何故今、こんなに強く思っているのか

自分でも分かりません。


もしかしたら、明後日の卒業公演に観に行ったら、また心機一転頑張れるかな…。


と、自分に言い聞かせています(笑)



声優専攻で過ごしてきたこと、

人に伝わるように表現することを学んだことを活かしていくために、


私はこれからも、このブログを書き続けます。

声優という職業との出会い

前回書いていた通り、私は小さい頃から空想と妄想が大好きでした。


だから、アニメも昔から好きです。


初めてアニメを観たのはいつ頃だったのかは覚えていません(笑)

でも、唯一小さい頃に観ていたのは、

こどもチャレンジの付録DVDの「しまじろう」と、NHKの教育テレビ、ヒーローなどの特撮ものでした。


当時、考えも幼かった私は、テレビで起こったことは、全部現実でも起こる!

と、思っていました(笑)

雨の雫を手で握るとビー玉に変わるシーンがあると、自分も雨の雫をビー玉になるまでずっと握ったり、

プリキュア(ふたりはプリキュアの時代です。)を観始めた4歳の頃は、

大人になったら自分もプリキュアに変身できると本気で思ったり、

悪者やプリキュアはどこにいるのか必死に探したりしていました(笑)


そして、現実とアニメの区別がつき始めた6歳ぐらいの頃、

ポケットモンスター」(アドバイスジェネレーションの時代。)のアニメで、

やっと初めて声優という職業を知りました。

アニメのキャラクターの声は、現実の人間の声を入れているんだと初めて知った時は、本当にびっくりし、感動しました。


特に、主人公の少年の声を女性が声を入れているということを気づいた時は、

とても衝撃的だったことを今でも鮮明に覚えいます。



それから、声優の魅力にどんどん惹かれていき、

ついに私は、声優という職業に憧れを抱きます。

私という名の人物

皆さん、初めまして。

水無月セララと申します。


まずは、このブログに来て下さって本当にありがとうございます。


私が自分のエッセイを書きたいと思ったきっかけは、特に対した事ではなく

「未来の自分へ何かを残したい。そして、これから生まれてきて生きていく人たちに、自分の経験を活かして何かアドバイスを与えることができたらいいな。」

と思ったことと、今生きることが辛いと苦しんでいる人を少しでも、ほんの少しでも、

何か気持ちを和らげることができたらいいなと思ったからです。


私は今年で18歳になりました。

18年間生きてたんだ…凄い!

と、自分で思ってしまいます(笑)


でも、自分がこの時はどんな考え方をして、どんな行動をしていたのか、

はっきり明確に覚えているのは、

中学一年生の頃からしか覚えていません(笑)


しかし、この中学一年生の頃からが重要なんです。


私にとって中学時代は、特に中学一年生の時代は、私の人生を大きく変え、大きな決断を下された時代で、

少し大袈裟な表現になってしまいますが、

とても波乱な時期でした。


その時代があったからこそ、今の自分があると思います。

もし、その時代がなければ、私はこうしてブログを書くことはなかったでしょう。


18歳になった今、

私は「今まで生きてきた18年間を改めて振り返りたい。」と考えたのも、エッセイを書きたいと思ったきっかけの一つです。



少し話が逸れてしまいましたね(笑)

では、私とはどんな人物かお話ししましょう。


私は一言で言いますと、少し変わっている人間です。


両親から聞いた話によると、

「小さい時から、どこか抜けている。」

みたいです。

確かに、今でもたまに

「セララちゃんって、ちょっと抜けているよね〜。面白いけど!」

と、よく言われます。もちろん、自覚しています(笑)


でも、やはり抜けているところはコンプレックスです。

例えばの話ですが、「右を動かして。」と言われた時に、とことん左を動かしていて、「違う、それは左だよ。」と指摘された時は、

何とも言えない恥ずかしさがこみ上げてきます…。

そうなった時、いつも私は

「もう、嫌われた。」「わたしは駄目な人間なんだ。」と、被害妄想をしてしまい酷く落ち込んでしまいます。

しかも私は、気分の上げ下げが激しい性格です。


でも、実は小学生まではそうではなかったんです。


さっきまで、凄くはしゃいでいたのに

突然、絶望的になってしまったり、

何かを頑張ろうとした瞬間、頑張っても無駄だと萎えてしまったりします。

自分でもやはり面倒な性格になってしまったなと思います。

あまりにの面倒さに、一時期母から

「もう、セララめんどくさい!」

と、怒られたこともありました(笑)

それはそれで辛かったのですが…。


そのような性格になってしまったのは、

もしかすると、「抜けているところがある」性格からなってしまったのかもしれません。


原因は、中学一年生の頃で、同級生からある事を頼まれてそれを一所懸命果たそうとし、私は真面目に取り組みました。

でも、間違っていることに気づかなくて私はそのまま友達に報告しました。

すると、

「何してんの?ふざけてんの?」

と、本気で怒らせてしまい、どうしようもない状況になりました。

それから、その同級生だけではなく、

他の同級生からも、私のほんの些細な失敗で責めるようになり、私はただ自分を責めてばかりでした。

それがトラウマになり、今でも少しの失敗をずっと引きずり続け、同じことを落ち込んだり、立ち直ったりの繰り返しが激しくなってしまったのかもしれません。


もし、私と同じだと思った方は、絶対に自分を責めないで下さい…!

反省をすることはとても大切です。

そして、反省をした上で

「そういう性格なんだ」と自分を認めてあげて下さい。

認めないままだと、自分の短所を増やしてしまうことになります。


それから、私は小さい頃から

空想・妄想することが大好きです。

空想や妄想は、現実ではできないことができ、ストレス解消にもなっています。

もちろん、現実とうまく生活ができるように2つの世界を自分で作っています。

そもそも、空想の世界には私自身はいなく、私が作り出したキャラクターがいます。

そのキャラクターが私が、歳をとるたびに成長して、

今は、そのキャラクターの子供が活躍しているということになっています。


でも何故か、夢に一度も出てきたことはないんですよね(笑)

それが、現実とうまくやってきている理由なのかもしれません。


そういえば、中学生の頃に一番よく妄想をしていて、

両親に凄く心配をかけてしまったことを思い出しました(笑)



短所ばかりのエピソードを紹介してきましたが、

長所のエピソードもあります。


どちらかと言うと私は真面目で、よく年上に見られることが多く、

「落ち着いているね。」と、よく大人に言われます(笑)

ちなみに、精神年齢は39歳です…!


抜けていたり、ネガティブだったりの性格で正直苦労しますが、

唯一の真面目な性格が、私自身を支えているのかもしれません。


それで何とか、生きることができています…!